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永秀寺(えいしゅうじ)は、熊本県阿蘇郡高森町大字芹口にある浄土真宗本願寺派の寺院。川嶺山と号する。仏厳寺の末寺。 == 歴史 == 寺の創建は慶長16年(1611年)で、開山は了現。開基は 大坂の陣〔基次は慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で討死するが、開基はその4年前となる。〕での戦いなどで著名な戦国武将・後藤基次(又兵衛)という〔『日本名刹大事典』44頁〕。 開山の了現は、俗名を後藤又兵衛〔つまり、父と同じ通称「又兵衛」を称していたこととなる。〕永秀といい、又兵衛基次の三男で元は浪人であったが、京都で出家し僧になったと伝えられる。 寺は、開山より第2代住職・了誓までは熊本城下の坪井に置かれていたが、万治元年(1658年)、洪水のため寺が流失。6年後の寛文4年(1664年)、第3代住職・霖雪のとき、馬場村の後藤久右衛門基房の求めに応ずる形で現在の地へと移った。その後、後藤久右衛門の子で3代・霖雪の養子となった龍顔が住職を継ぎ第4代となった。 寺は、明治維新前後に零落したが、その後、第13代住職・普行が寺勢を拡大し、中興した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「永秀寺 (熊本県高森町)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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